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松山地方裁判所 昭和34年(ワ)123号 判決

原告 猪上百世

右訴訟代理人弁護士 篠原三郎

被告 株式会社すがや商店

右代表者代表取締役 菅信博

〈外二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 泉田一

主文

被告株式会社すがや商店は原告に対し、金五二、五〇〇円及びこれに対する昭和三四年四月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告株式会社すがや商店に対するその余の請求をいずれも棄却する。

原告の被告菅信博、同菅サナエに対する各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告と被告株式会社すがや商店との間に生じた費用はこれを三分し、その二を原告の負担、その余を被告株式会社すがや商店の負担とし、原告と被告菅信博、同菅サナエとの間に生じた費用は原告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

原告が被告会社に対し昭和三一年一月一日原告所有の本件土地を建物所有を目的として、期間は同日から五年間、賃料は一日金一〇〇円、支払期日は毎年末の約で賃貸し、同三三年一月頃同月から賃料は毎月末払と改める旨約したこと、昭和三三年三月二六日原告は被告会社に対し書留内容証明郵便をもつて、同書面到達の日以降賃料を一坪につき一ヶ月金四〇〇円の割合に増額する旨請求し、その意思表示が同月二八日被告会社に到達したことはいずれも当事者間に争いがない。

そこで原告の右賃料増額請求が借地法第一二条の要件を充たすものであるか否かにつき順次判断することにする。

右賃貸借契約(本件契約)が締結されるに至るまでは昭和二一年以来原告、被告信博間に本件土地について賃貸借契約が存し、その賃料は漸次当事者間の合意により増額され、昭和三〇年度からは一日につき金一〇〇円に改められたこと、右契約は昭和三一年一月一日に合意解除され、同時に被告信博が代表者である被告会社と原告との間に本件契約が締結されたことは当事者間に争いのないところである。そして成立に争いがない甲第一号証の二によれば原告、被告信博間の右契約の賃料は昭和二七年度分から一ヶ年金一〇、〇〇〇円に改訂されたことを認めることができる。

原告は相当期間が経過して昭和三三年三月頃賃料が不相当になつたことについて、起算点となすべき時期は、賃料が一ヶ年金一〇、〇〇〇円にされた昭和二七年一月又は一日金一〇〇円とされた同三〇年一月であると主張するけれども、借地法第一二条による増額請求権は既定の賃料がこれを定めた後に生じた当事者の予期しない経済事情の変動によつて均衡を失つた場合にそれを矯正するため認められるものであるから、契約当事者間の合意又は同条により定められた賃料のうち増額請求をする時期にもつとも近い時点を起算点としその後の経済事情の変動を検討すべきものといわねばならない。従つて昭和二七年及び同三〇年は本件契約成立以前であるからその当時を比較の対象とすべきではなく、本件契約成立時である昭和三一年一月一日を基点としその当時からの経済事情の変動を考慮すべきである。

又原告は借地法第一二条に基づく増額請求は同条に例示されている諸事情のあつた場合に限らず主観的特殊事情の変動ある場合も含むと主張する。しかしながら同条の増額請求権は借地人の土地利用権を保護する立場をとる同法の精神を維持したまま経済変動により招来する地主又は賃貸人の経済的な不利益を公平の観念に従つて調節し、土地利用関係を合理的に規制するためのものであるから同条に列挙された事情は例示に過ぎないけれども、それはあくまで一般社会の経済事情の変動ある場合に限るのであつて、契約当事者の個人的な事情、感情問題はもとより資力の増減等個人的な経済事情の変動に基因する場合は含まれるものでない。このことは同条の文言に照しても疑を容れないところである。当事者間において予見しうる事情の変更については契約自由の原則の中で処理されるべき問題であるし、個人的な事情の変更により著しく公平の理念に反する結果を生じた場合は信義則又は一般の事情変更の原則により解決されるべきであつてそれのみで直ちに借地法第一二条が適用されるものではない。例えば恩恵的に低額に定められていた賃料を当事者間の不和を理由に同条によつて一方的に増額しうるのならば借地人は常に賃貸人に隷属し、賃貸人の恣意の賃料増額請求に絶えず脅やかされねばならないから借地法の精神に反することが明らかである。当事者の一方の著しい不正行為によつて不和を生じたときは契約上信頼関係の破壊の法理により他方を救済すべきであろう。地代家賃統制令第七条第一項が公平の理念に立つ点で借地法第一二条と共通のものがありその意味では原告主張のとおりであるけれども同法条は停止統制額(それは最高額を定めるものでそれを超えて契約すれば罰せられる)の増額を認可する場合であつて、法的性質もその目的とするところも異なるから同様に論ずることはできない。又罹災都市借地借家臨時処理法第一七条は更に要件をゆるやかにしてあらゆる事情を考慮しうるとし、しかも遡及効も認めているが、特殊立法によるのであるから直ちに類推適用できないのはいうまでもない。

結局借地法第一二条は既定賃料が一般経済事情の変動のみによつて不相当となつた場合にその増減額請求権を認めたものであるということができる。

もつとも本件の場合は本件契約によつて一日金一〇〇円の割合の賃料が定められてから原告がその増額請求をした昭和三三年三月二八日まで約二年三ヶ月を経過しているから増額請求をするについて相当期間を経過したといえるし、鑑定人松井修の鑑定の結果によれば全国市街地価格指数はその間かなり上昇していることが認められその上昇率は計数上約一・四五四倍を示して、当事者の予想しない経済事情の変動があつたことは明らかである。

そして右土地価格の上昇率、僅かではあるが、成立に争いのない乙第四号証により認められる本件土地の固定資産税の増加、証人渡部要、同小倉頼光の各証言により本件契約による賃料が比隣の土地の賃料に比して甚しく高額なものではないことが認められること等の事実に照し昭和三三年三月頃において右賃料が不相当になつたことを認めるのに充分である。

さて、それでは本件の場合昭和三三年三月当時において賃料を如何なる金額まで増額するのが相当であろうか。以下その点について判断する。

元来土地の賃料は借地人が土地を使用する対価として賃貸人に支払われるものであるから、当該土地の時価に一般利子率を乗じた利潤相当額に固定資産税その他の管理費用を加算して修正額を算出する方法が一応考えられるけれども、右は土地を随時任意に更地として売却し投下資本を回収した上金銭資本として利用しうることを仮定した場合の相当利潤を算出するものに過ぎないのであつて、不動産の賃貸借関係が金銭消費貸借の場合と異なり信頼関係を基調とする人的色彩の濃厚なものであることや土地価格騰貴の特殊性等をも考慮すれば、本件の如き場合には前記の方法によるべきではなく、既定賃料に当該土地価格の上昇率を乗ずる方法によつて算出したものを基礎とすべく、かくして得た金額がたとえ各場合によつて差異を生じようともそれは既定賃料決定の際当事者の容認した事情に基因するものであるから、当然の結果であるといわねばならない。一方借地法第一二条による増額請求権が一般経済事情の変動ある場合のみ認められることは前示のとおりであるが同条は公平の理念をその基底とするから右請求権が認められる以上修正額を決定するに当つては主観的な特殊事情の変動も考慮すべき場合があると考えられる。但し経済事情の変動に附随して考慮されるに過ぎず、又事情変更の原則の一発現と考えるべきであるから自ら限界があり、特殊事情を重視するあまり近代法的意義の契約厳守の原則を没却してはならないのであつて、新事態から来る耐えがたい不公平を除去するために必要な最少限度の改訂にとどめるべきである。結局借地法第一二条に基づく増額請求により改められる賃料の額は当事者の容認し又は既に同条により定められた既定賃料に一般経済事情の変動率を乗ずる方法により算出した額を基礎となし、公平の理念に立つて主観的特殊事情を考慮して定めるのが相当である。

そこで先ず基礎となる額を算出すると、既定賃料が一日金一〇〇円の割合による金額であり、それが定められた昭和三一年一月一日から原告の増額請求の意思表示が被告会社に到達した同三三年三月二八日までの間の土地価格上昇率が約一・四五四倍であることは前示のとおりであるからそれを乗ずると計数上一日金一四五円四〇銭となる(鑑定人岡田房一、同岡崎正雄、同尾崎久雄の各鑑定の結果によつては右期間の上昇率が不明であるのでいずれも採用しない。)しかし前記乙第四号証によれば本件土地の固定資産税の増加率が僅か一・〇五三倍に過ぎないし、証人渡部要、同小倉頼光の各証言によれば昭和三三年頃の比隣の土地の賃料は一日金一〇〇円である本件賃料に比してむしろ低額であることが認められるから、その点を考慮して右算出額を若干減額した一日金一四〇円を修正すべき額の基礎とする。

次に主観的特殊事情について考えよう。

原告は本件契約締結の際又はその前後に被告会社から賃料増額について被告信博の長男が大学を卒業するまで待つてくれといわれ、それを容れたがその長男はその後大学を卒業したので増額賃料決定に当つてその事実を考慮すべきであると主張するけれども、右は当事者間で予見しうる事情の変動であるから事情変更の原則を適用するわけにはゆかない。それがその間賃料を増額しない特約であるに過ぎないのならばその期間経過によつてその禁止が解かれるのは当然であると共にそれ以上の考慮は必要でないし、それが賃料額についての条件付契約であるならば契約に基づき請求をすべきであつて、いずれにしても本件の場合考慮すべき事情の変動ということはできない。

又原告は原告の母訴外猪上千代と被告会社の代表者である被告信博の義父訴外吉岡好吉とが昭和一三年頃から内縁関係にあつたため本件賃料は恩恵的に低額に定められたのであるがその後同三二年一二月上旬にはその内縁関係が解消されたから事情変更として考慮すべきであると主張する。千代と好吉とがその間内縁関係にあつたことは当事者間に争いのないところである。証人渡部要、同小倉頼光、同吉岡好吉の各証言及び原告本人、被告信博本人の各尋問の結果によれば本件契約締結の際、右内縁関係の存在を契約当事者間で若干意識しており契約内容を定めるに当つても互に好意的であつたことは窺えるけれどもその賃料が比隣の賃料と比較して低額であつたことは認められないし、内縁関係の解消は千代と好吉との個人的な感情のもつれから生じたものでそれが本件契約の当事者間においてその契約関係の維持を不当とならしめる程の著しい影響を与えたとは認められない。従つて右事情も考慮すべきではないと考えられる。

結局本件においては特に考慮すべき主観的特殊事情はないのであるから、前示一日金一四〇円(年額金五一、一〇〇円)の割合による賃料が昭和三三年三月二八日における相当賃料額ということになり、原告の被告に対する増額請求の意思表示はその限度で効力を有し、本件契約に基づく賃料は同日当然に右金額に増額された訳である。

次に原告の契約解除の主張について判断する。

原告が被告会社に対し昭和三四年一月五日付書留内容証明郵便をもつて同三三年四月分以降の延滞賃料を同三四年一月二〇日までに支払うべき旨催告し、右催告状が同月七日被告会社に到達したことは当事者間に争いがない。そこで右催告の効力について考えてみよう。

被告等は被告会社が昭和三三年四月以降原告から賃料受領を拒絶され従来の金額を松山地方法務局に供託しているから賃料の履行遅滞はないと抗争する。証人猪上千代の証言及び原告本人尋問の結果によれば被告信博は昭和三三年三月末頃一日金一〇〇円の割合の当月分の賃料を従来原告に代つて賃料を受領している千代宅に持参したところ、同人から同人が受取るのは当月分だけとし今後の賃料は原告宛直送してもらいたい旨要請されたので、それを承諾したが同年四月分からは原告宛送金することなく直ちに弁済供託の手続をとつたことを認めることができる。被告信博本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難い。そうすると被告信博は弁済の提供をなさずに供託をしたことになる。しかしながら同年四月分から増額された賃料は一日金一四〇円の割合の金額(一ヶ月金四、二〇〇円)であることは前示のとおりであるにも拘らず、原告が請求したのはその六倍強に当る一ヶ月坪当り金四〇〇円の割合の金額(本件土地の実坪数を乗ずると金二六、七八八円)であつて、被告信博がたとえ右増額賃料を提供したとしても原告がそれを賃料の支払としては受領を拒絶することは明白なところである。かかる場合には予め弁済の提供がなくとも弁済のための供託をなしうると解すべきである。ところで、昭和三三年四月以降同三四年五月頃迄の間本件土地の約定賃料相当額を松山地方法務局に供託したのは被告信博が個人名義でなしたものであることは当事者間に争いがないのである。そして成立に争いのない乙第六、七号証によれば供託原因として供託書に表示されているのは原告と被告信博との間の本件土地の賃貸借契約に基づく賃料の支払に関する事項であるから、右供託を本件契約の賃料についての第三者の弁済と認めることはできないのみならず当事者が異なる以上たとえそれが錯誤による供託者の表示の誤記であるとしても供託制度の形式的取扱による供託物受領権者の不利益を考えれば本件の場合供託者を被告会社として供託の効果を認めることはできない。結局被告等の供託の抗弁は理由がないことに帰し、賃料支払につき口頭の提供すらないことは前示のとおりであるから被告会社は原告に対し昭和三三年四月以降同三四年五月頃まで本件増額賃料全額について履行遅滞にあるといわなければならない。

次いで被告等の過大催告の抗弁について考えると原告が催告したのは増額請求をした額の賃料の支払であつてその額が増額された相当賃料の六倍強に当る多額のものであることは叙上のとおりである。右の如く相当額に対し甚しく過大な数量を請求した場合にはそれに対して債務者である被告会社が相当額を提供しても原告はそれを受領しない意思を有することは明らかであるから、かかる催告は無効というべきである。そうだとすると被告等の過大催告の抗弁は理由があり右催告を前提とする原告の契約解除の主張はその余の点を判断するまでもなく理由がないこととなる。

結局本件契約は消滅せず被告会社は原告に対し本件土地の明渡義務はないのであり、その義務がない以上本件土地を明渡さないことによる被告会社の損害賠償義務もないことは勿論である。一方被告信博が本件建物(一)を、被告サナエが本件建物(二)をそれぞれ所有して本件土地を占有していることは当事者間に争いがない。そして被告信博、同サナエの各本人尋問の結果によれば、同被告等は本件契約締結の頃から原告の承諾のもとに本件土地を被告会社より転借していることが認められる。従つて本件契約が存続している以上被告信博、同サナエはいずれも本件各建物を収去して各敷地を明渡す義務はないわけである。ただ被告会社は前示のとおり増額された賃料を昭和三三年五月頃まで全く支払つていないことになるから、右未払賃料中原告の請求する昭和三三年四月一日以降同三四年四月一〇日までの賃料合計金五二、五〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和三四年四月一四日から支払ずみまで年五分の割合による法定遅延損害金を支払う義務がある。

よつて原告の被告会社に対する請求は右に認定した賃料請求の点においてのみ理由があるからその限度でこれを認容し、その余の点は理由がないからいずれもこれを棄却し、原告の被告信博、同サナエに対する各請求はいずれも理由がないことに帰するのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊東甲子一 裁判官 仲江利政 堀口武彦)

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